【セミナー採録】第3回セミナー「パリでジュエリーデザイナーとして生きる」
2010年4月10日 第三回セミナー
【パリでジュエリーデザイナーとして生きる】
講師:櫻井紅絹氏(ジュエリーデザイナー/MOMI Paris主宰)
ジュエリーの本場であり、ファッションや流行を発信し続ける街、パリ。
その独特な文化に多くの人が憧れ訪れますが、「パリほど難しい街はない」といわれるのも事実。
サンジェルマンデプレにMOMI Parisブティックを構え、20年近くも日本とパリを行き来しているジュエリーデザイナーの櫻井紅絹さんに「パリでジュエリーデザイナーとして生きる」をテーマにお話しいただきました。
MOMI Paris HP http://www.momi-paris.com/
紙粘土で作った「ジュエリー」
ジュエリーとひと言でいってもじつに様々で、幅広いと思います。
貴金属でもジュエリーですし、木やプラスティックで作られたものもジュエリーとしての価値があるということを前提に、本日はお話しを進めさせていただきたいと思います。
わたしは20歳で短大を卒業して、すぐにパリに渡りました。
そう聞かれると波乱万丈!と思われる方もいるかもしれませんが、高校生のときからジュエリーデザイナーになって、パリのサンジェルマンデプレにブティックをもちたいと思って計画を立てて進めてきたので、わたしにとっては自然の流れでした。
こちら(スライド見せる)は21歳の時の作品です。
紙粘土で作っています。貴金属でジュエリーを作っていらっしゃる方には「果たしてこういうものでもジュエリーというのだろうか」と疑問をもたれるかと思いますが、わたくしがパリで仕事をしたいというきっかけがここにあります。
パリでハイジュエリーといえば、みなさま代々のものをお使いです。石留めを変える、リフォームをして使う方が多く、新しいモノを購入される方が少ない。
それならば、こうしたハイジュエリーをもっていらっしゃるような方々は、
非常に豊かなバックグランドをおもちだから、さまざまなところでアイキャッチになるような、
カンバセーションピースになるような面白いものを求めていらっしゃるのではないか
――非常に稚拙ですけれども、これが高校生のときにわたしが思ったマーケティングでした。
その考えのもとに日本からまいりまして、某ジュエリー専門学校に留学しましたが、
とてもつまらなかった。申し訳なかったですけれどもさっさと辞めてしまいました。
学校に通っている時間を、パリの中でどういう方々に売っていきたいか
ということを突き詰めて考えていったほうが、夢に近づくには早いかなと思ったんですね。
それで、周りの方々からはいつも遊んでいるように見えたと思いますが、
自分がどういう層に売りたいのかということを、いつもかなりターゲッティングして生活をしました。
わたしのジュエリーを着けてほしいと思う方々は、
代々受け継いでいるハイジュエリーに、新しい、セルロイドとかべークライトとかのものを
組み合わせるのが非常に上手な方です。そうした方々が実際にいらっしゃるのを目にした時点で、
わたしはパリに来てよかったな、充分にやっていけるなという確信をもちました。
パリコレ会場前でマーケティングをする
そこで紙粘土にラッカーで仕上げたほとんど工作の延長のような作品、
いえ、工作そのものかもしれないですね。
こちらをケースに詰めまして、パリコレの会場の前に立ちました。
今思えばかなり過激ですけれども、わたしはジュエリーの学校を出ていないので、
まったくツテもないし友人もおりません。行動するしかなかったんです。
ある方が「パリコレにはいろんなジャーナリストが来ているよ」と
話すのを聞いたから立ってみたと言うのが現実です。
でも、これが学校で学ぶよりも100倍くらいの効果がありました。
どういう人たちがどのブランドのショーに集い、
どういったバイヤーさんがどのブランドのショーに集うかの
マーケティングができたように思います。
次のシーズンは、もう少し様々な素材を買うルートを自分なりに開拓して、
アンティークのビーズを使った作品をもって会場の前に立ってみました。
今にして思えば、アンティークはヨーロッパでは生活に密着しているものなんですね。
たとえば、自分のおばあさまが代々されているビーズを、
代々お付き合いのある職人に作り直していただくのが自然ですから、
日本人のわたしが造ったアンティークものなんて買うわけない。
せっかく外国人から買うなら、面白いものを買いたいと思っている。
パリの人たちの中では『違う』ということが
非常に大きな意味をもっていることが分かりました。
このとき、フランスの雑誌『FIGARO』のジャーナリストが、
某有名デザイナーさんを連れてきてくださって、
その方がその場で買ってくださいました。
わたしは売るつもりがなかったので、値段をつけていなかったんですが、
「マドモアゼル、ここに立っていたらどんなチャンスがあるかわからないんだから
ちゃんと値段をつけないと」と言って、一緒に考えてくださって、
紙粘土で作ったゴールドの指輪を日本円で8万円で買ってくださった。
それはわたしにとって非常に衝撃でした。
「来週パリコレが終わったらアトリエにあそびに来たら?」と言ってくださって、
まだ若かったので額面通りに受け取って、アトリエに遊びに行きましたら、
わたしの作品がちゃんと置いてありました。
そして、「この作品を造った人だ」とアトリエの皆さんにちゃんと紹介してくださった。
その時、わたしは自分のやるべきことが見えたような気がしました。
その後「エリック・アンジュ・ペナ」という、
当時『VOGUE』の表紙などに作品を提供していたデザイナーのアトリエで、
夜も寝る間がないくらいに4年半、タダで働きました。
わたしは20歳でフランスに来て、すぐに夢が叶うということは
まったく思っていませんでした。25歳までに何かかたちにできればいいだろうと
思っていましたから、まわりのモード関係を目指している方々に比べると、
ずいぶんのんびりとしていたかもしれません。
おススメは「友達をたくさん作ること」
22年間ヨーロッパで仕事をしてきて思うのは、
何かスピリッツをもって仕事をしていることが非常に大事だということです。
わたしのところにたくさん若い方が作品をもってきてくださいます。
日本人の器用さがよく出ている、一つ一つがと非常に素晴らしい作品だけれども、
どこか「ワン・オブゼム」になってしまう。
目立たないというよりはスピリッツがないというのが当たっているのかもしれません。
荒削りでもスピリッツがあるものが評価を得るのだということを非常に実感しています。
日本からパリに来られる方は、みなさん近視眼的で
「ものを作って終わり」になってしまう方が多いという印象を受けます。
どういう方たちに売りたいのか、どういう場面で使ってほしいのかを、
もう少し見たほうがいいということを非常に感じます。
わたし自身も、ジュエリーの学校を辞めてから一心に考えていました。
カフェなどに行ったときに「わあ、素敵だな」と思う方はどんなものを着けているのか。
貴金属はご一族のものを使っている、でも夏や冬のバカンスを過ごす先では
どんなものを着けているのだろう――自分のジュエリーを着けてほしいと思う方が、
いったいどういう暮らしをしているのかを知ることが、
わたしにとっても非常に大事なマーケティングだと思っていました。
パリでジュエリーデザイナーになりたい方にアドバイスをするとしましたら、
作品の質をあげることも非常に大事ですが
「お友達をたくさん作ったら」ということでしょうか。
こんなみなさんがずっこけるようなアドバイスですが(笑)、
「人を知る」、には「人と付き合う」しか方法はありませんから。
日本からいらっしゃる方は女性が多いですけれども、
自分のやる気と作品でいっぱいいっぱいで、
周りが見えていない方が多いように思います。
作品を買ってもらって、職業として成り立っていかない限りは、
それは趣味ですよね。趣味ならばジュエリーを差し上げるべきで、
プロというのはそれで生計を立てているわけです。
こういうビジネスマインドの部分が、
やる気とはウラハラにずいぶん稚拙だなということをいつも感じます。
展覧会をするときの強い気持ち
こちらは(スライド)日本で初めて開いた個展です。
蓋を開けて中の作品を見て頂くという、
現代美術みたいなコンセプチュアルな会にしました。
わたしが展覧会をするときはいつも、完売を目指そうと思っています。
見て貰えるだけでいいというのは、プロではないと思っていて、
確実にギャラリーの方に収益を上げて頂こう非常に強い気持ちをもっています。
こちらは初めての展覧会でしたが、
おかげさまで完売どころか非常にいい収益をあげました。
展覧会の展示ではいつも、空間全体をデザインすることに重点を置いてきました。
いらした方がお友達と語らいながらジュエリーが選べる雰囲気、
いろいろ試せる雰囲気作りを自分なりに考えています。
こうして展覧会を重ねて、徐々に自分のスタイルができあがってきたところに、
パリのサンジェルマンデプレに念願のブティックを開けることになりました。
パリは1区から20区まで分かれていまして、
わたしのブティックは6区と7区の両方に面したサン・ペール通り沿いにあります。
そのため、6区と7区両方の景観美観条例にクリアしないとなりません。
サン・ペール通りは、サンジェルマンデプレ教会の修道院が終わるところで、
こんな(歴史的な)ところに日本人がブティックを開けるのはとんでもないと
周囲から猛反対されました。
ブティックは小さな物件ですけれども、毎日、区の人や町内の人が来ました。
歴史的建造物の路面店だから、物件そのものの
歴史的調査から始めなくてはとかありまして、何度も工事が中断しました。
ブティックを購入したのが92年で、実際に開けたのは99年です。
それほどの年月をかけなくてはならないのがパリの特長でもありますけれども、
この間に生きたパリの骨太な部分に触れることができまして、
ジュエリーを販売していく上でも大きな経験につながったと思っています。
ブティックを開いたときにはたくさんのメディアが取り上げてくださって、
とてもいいスタートがきれました。
みなさんからは「開けた途端にこんなに注目されるなんて」と言われまして(笑)、
「パリは一度パリの水に沈んで、
浮かび上がってきた人たちだけがやっていけるところだ」と
よく皆さん言われますが、本当にそうだと実感しました。
サンジェルマンデプレの方々のご支持のおかげで、
ようやく安定した売り上げと知名度のバランスがとれてきたかなというのが、
ここ数年の感想です。フランスで長く仕事を続けてこられたのは、自分の「バックグラウンド」と、
「身につけて欲しい層」と、「ブティックの場所」――これがうまく調和したというのが
理由ではないかなと思います。
パリの展示会に出展するということ
パリにブティックを出したいとか、パリの展示会に出したいといった方も
(会場には)多いと思います。
ただ、じっさいにパリの展示会に出展するのは非常に複雑です。
わたしは展示会に出さずに「展覧会」というかたちで
仕事を進めてきた理由はそこにあります。
パリの展示会って、みなさんが思っている以上に
世界中からお客さんがおいでになります。
パリの人に売りたいと思っても、展示会に出している以上、
お客様は選べませんよね。
わたしの後輩も一回展示会に出しましたけれども、
気持ちとしては「ヴァンドーム広場のブティックに置いてほしい」
くらいの勢いで一生懸命作ったんですけれども、
結果的にはヨーロッパの聞いたこともない町の
セレクトショップの人が買ってくれました。
でも「あなたには売れません」と言えないのが展示会の怖いところ。
不特定多数に販売するということは、クレームもあり得ないようなクレームが
くる可能性があるということも念頭におかれるといいと思います。
展示会に出した時点で終わりではなくてそこからが始まりです。
売ったはいいけど売りたくない人に買われてしまった、
思いがけないクレームがきたという悪循環になってしまうことも非常に多いものです。
ですから、展示会に出すことのご自分なりの意味を考えてから
出展したほうがいいでしょう。どんなお店でもいい、
一つでも買ってほしいという出典の意義もあるだろうし、
パリの展示会に出すということで自分の日本への顧客へのアピールにする
というのも一つのマーケティングでしょう。
今や東京は「世界の東京」です。パリからわたしが帰ってきたときに
「東京に遅れないようにしなくちゃ」と思うほどです。
パリに出展することがいいのか、東京で展開した方がいいのか
――ご自身でマーケティングされるとよいかと思います。
**********質疑応答**************
【質問】展示会と展覧会の違いは?
櫻井「展示会は基本的に、オーガナイザーが出展者を募り、
出展者は出展料を払います。そして、オーガナイザーが招待した
世界中のバイヤーが来て、商品に注文をつけていく。
展覧会というのは、いわば個人の個展です。
わたしのところで以前、3年働かれていた方が、
今は有名なデザイナーになっていらっしゃいますけど、
彼女はアパレルから出発して、雑誌の記事でわたしを見て、
働きたいと訪ねてきてくださいました。
あるときわたしに「これの品番はなんですか?」と聞きました。
わたしは品番管理をするという考えがなかったので、非常に驚いて
「品番なんかないわ、ベネチアの太陽という作品よ」と答えたのですが(笑)、
わたしは商品ではなくて作品だという気持ちで最初からおりましたので、
わたしにとって展示会と展覧会の意味は、大きく違うものだと思っています。
【質問】パリでは「プルミエールクラス」という展示会が
非常に大きくて有名なものだと思いますが、どうお考えですか?
櫻井「プルミエールクラスは、わたくしがパリに行ったときにはまだありませんでした。
起ち上げの経緯をみなさん知っておいて損はないかなと思いますが、
当時パリでの展示会は、布とかお洋服の展示会はありましたが、
フランス語でいう『アクセソワール』、
これはショール、バック、靴、ジュエリー、ベルト辺りを含みますが、
これらの展示会は当時まったくありませんでした。
プルミエールクラスの発起人は、某有名靴メーカーのご子息です。
わたしと年齢が1、2歳しか変わらない方ですが、
『アクセソワールの展示会をやりたいと思っているんだ』とおっしゃって
起ち上げられまして、じつはわたしはプルミエールクラスの最初から関わっています。
主催者からしてみたら、出展は収益性が高いものが当然望ましいですね。
靴とか高い皮革のバックというのは収益性が非常に高いので、
メインの場所には一番収益性が高い商品が置かれる。当然の原理です。
今、出展料は各ブースで価格が決まっていると思いますが、
オーガナイザーが出展場所のチョイスをしていきます。
「非常に不公平だ」という日本の方がいますけど、
パリで何かをやるということは、平たく言うとたいへん不公平です。
わたしはもうちょっと気を大きくもって、
今はプルミエールクラスは出展の基準が厳しくなっていると思いますが、
1回目はまず出せてよかったなと、大らかな気持ちでまわりをよく観察する。
大会場の中で自分の商品がどういうふうに見えているのかを
確実にとらえていくのが、最初の出展の意義かなと思います。
パリの展示会に出展するということは、出展者のみなさん、それぞれに
思惑があると思います。パリを皮切りにヨーロッパで全面的に展開していきたいのか、
それとも、日本に対してのフラッグ・アクティビティとしてウリにつなげるのか。
実際にいらっしゃいますよ、「ヨーロッパの方は誰も買ってくれなくてもいい」という方も。
どうして出展するのかを自分なりに明解にしておかないと、
怒ったり不満が出て来てしまいますよね」
【質問】パリで「頑張りすぎることがNG」と聞いたことがありますが。
櫻井「わたしはパリに22年おりまして、サンジェルマンデプレの
町内のいろいろな役もしていますが、それでもやっぱり”入れていただいている”
という気持ちは、卑下する意味ではなくてもっています。
フランスはやはり階級社会ですから、世界の東京だってわたしたちがいくら
誇りに思っても、実際にパリは日本を認めてはいますが、パリに居る日本人はやはり外人なんですよね。
でもわたしは、異邦人で居続けることは悪いことじゃないと思います。
わたしのアトリエにいらっしゃる、パリで仕事をしたいという日本のお嬢様たちも、
最初の1週間はすごく元気で出力が高い。でも、もうすこし可愛らしくしませんかと思ってしまう。
わたしのところにたくさんアシスタントの子がいますけれども、
フランス語が上手い子が必ずしも上手くいくわけじゃありません。
フランス語が上手いために文句もいえてしまうから、
嫌われてしまうこともあるし、フランス語が下手なために本当は怒っているけど
言い返せなくて、めそめそして戻って来た子のほうが好かれたりもします。
フランスは本当に不公平な国ですから、
いくら才能があっても好かれなければひとつも扉が開きません。
日本人が本来もっている奥ゆかしさみたいなところが、
ある意味でいちばん評価される外国がフランスだと、わたしは長く住んでみて思います」
【質問】日本のクリエイターへのダメ出しをお願いします。
櫻井「わたしが皆さんの作品にダメなんて言うことはまったくないのですが(笑)、
ただ、売り出したときにすごいクレームになったら可哀想という作品はよく見ますね。
ひとつは華奢すぎる。外国人は日本人みたいに器用じゃないですから、
すぐ壊すんですよ。かなりユーザーフレンドリーな、壊れない、
メンテナンスが楽であるということは、国際的に注意したほうがいいかと思います。
あと、この人クレームにつながりそうだなと思う人には売らないというのも、
ひとつの自己防衛の方法と思います。
たとえばミラノのセレクトショップならば東京のセレクトショップに
感覚的に近いと思いますが、ヨーロッパの奥地にもセレクトショップはあるわけです。
パリの展示会って世界中からお客様がいらしています。
売られた先で壊れたときに代理店がないわけですから、
どうしたらいいか、どういうフォローができるか。
DHLとかフェデックスがある国ばっかりじゃないわけですからね。
壊れないということはすごく大事だと強く思っています」
【質問】デザイナーとアーティストの違いはどう思いますか?
ご自身はジュエリーデザイナーか、ジュエリーアーティストかどちらで呼ばれたいでしょう。
櫻井「わたしはそのあたりの線引きが非常にきっちりしていて、
デザイナーであってアーティストではないと思っています。
わたしは父が建築家で母が染織家ですので、
育った環境でアーティストにたくさん会ってきています。
そういう人たちを見てきまして、自分自身はアーティストではなく、デザイナーだと思っています」
【質問】マーケティングの工夫、売る工夫は
どういうことをされていますか。
櫻井「みなさんの質問が非常にレベルが高いですね(笑)。
わたしが今日たいへん嬉しいのは、わたしのお話ししたいことがみなさんに
スパっと伝わっていることです(笑)。
商品の価格帯というのは、わたしが非常にこだわっているところです。
先ほど写真(スライド)で見ていただいたお客様は、
世界中に何カ所も家をお持ちで、季節に関係なく優雅に暮らしている
――そういう方々ほど、モノの価値と値段のバランスに敏感で、
自分の納得のいかないものに高いお金を払うことはありえません。
日本円で換算するとわたしのブティックでは12000円から
一番高いもので9万円ちょっとです」
【質問】出演されるメディアはこだわっているのでしょうか。
櫻井「そうですね。ものを作る人間としては当然だと思います。
わたしは買ってほしい層がビジュアルで見えるくらいに
非常に意識してやってきましたので、ワンオブゼムとして
ジュエリーが雑誌の一頁に出たときにお客様がどう思うか。
あんなにいい雰囲気の中で買ったのに、こんなところに出ている”
と思っていただきたくない。買ってくださったときの気持ちを
引っ張ってくれるところならば出ますという気持ちをわりと強くもっています。
23歳から35歳までわたしはそれこそメディアには出まくっていまして、
そのときのジャーナリストの方々が今を支えてくれていますが、
この辺りのことはずっとはっきりとお伝えしてきました」
【質問】ジュエリーを売る国に合わせて、
アイテムを変えてえているのでしょうか。
櫻井「たとえばイタリアですとフランス人よりも金髪率が高いといったことはありますが、
基本的にユニバーサルでありたいと考えていまして、
銀座の和光で売っているものも、私のパリで売っているものも基本的に同じです。
ようやくここにたどり着いたと自分でも思いますが、
日本でもパリでもまったく同じようにものが売れて行くのを自分で体験しています。
こういったものをお好きな方は、ご自身のライフスタイルやセンスそのものが
ユニバーサルなんだなというのがわたしの感想です」
【質問】万が一クレームが発生したときの対策は
どうされていますか
櫻井「ヨーロッパにおいては、まず扱い方が日本人よりがさつです。
壊す、そしてクレームということが、アメリカほどではないですが、
日本よりは一般的ですので、対策としてコンサルタントの弁護士をひとりつけています。
この弁護士へのフィーの分まで、ビジネスとして
きちんとして回していかなくてはいけませんね」
【質問】修理などに備えて、パーツのビーズを
ストックしていると伺いましたが
櫻井「基本的には10年というタームを考えていて、
10年を過ぎたものは、修理は賜りますが
パーツのストックがないものに関してはご容赦いただいています」
【質問】パリの展示会で大きいものは、プルミエールクラスのほかに
どんなものがありますか?
櫻井「『ワークショップ』『フーズネクスト』『プルミエールクラス』『トラノイ』の
4つが大きな展示会です。バイヤーさん、ジャーナリストが集まるということから、
基本的にパリコレに前後した時期に開かれることが多いですね。
よく、展示会に出すので見に来てくださいと言われて伺うこともありますが、
商品からして『トラノイ』よりも『プルミエールクラス』のほうが
いいのではということもあります。出展される前にぜひ一度、
どういう展示会かをご自分で見たほういいのではと思います。
『フーズネクスト』はその名の通り、
若者を発掘することを目的とした展示会ですから、
フエルトのお花のアクセサリーとか、
セルロイドの面白いものを出したほうがいいですね。
そういう展示会に貴金属を出したところで、高すぎて売れないですよね。
ご自分の商品の価格帯を意識することは非常に大事です。
売りたい層と価格帯はだいたいマーケティングで似た部分がありますので、よく分析する。
パリの展示会は日本の雑誌もたくさん取材してますから、
自分にどの展示会が合っているのか、売りたい層に合っているかを
リサーチされるといいかなと思います」
【質問】パリで長くお仕事をされて、日本人の強み、
いいところがありましたら、お聞かせください。
櫻井「わたしがパリに行った23年前、活躍している日本人といえば
ミヤケイッセイさんかモリハナエさんしかいなくて、
少したってからヨージヤマモトという声が聞こえてくるという時代でした。
それが今はビートたけしさんがコマンド-ルという勲章をもらっていますし、
日本のアニメ、ポケモンがフランス人の心をとらえています。
率直に言えば空前の日本ブームですね。
日本人であることはたいへんな追い風です。
ただ、それは一握りのとても才能がある人の出来事であって、
一般的には当たり前ですがコマンド-ルはもらえません。
今、フランスで評価されている日本人はフランスに住んでいませんよね。
そのあたりがトリックで、フランス人は日本人にとって
ミステリアスなところが強い憧れを呼ぶんです。
だから、パリで今風にいうならば、”ぶっちゃけちゃった日本人”を見ると、
幻想が壊れてしまう。
パリでわたしはいろいろな会議に出ますが、
もともとおしゃべりするために生まれてきたようなパリの人達の間で、
わたしのような外国人が外国語であるフランス語で発言したって、
意味が無いと思ってしまうので、会議では自分の意見をいわないようにしています。
そうすると、いつも最後に『あなたは何か言いたいことがあるんじゃないか』と聞いてくれる(笑)。
大勢の中で発言しなくて済むわけです。
大江健三郎さんがノーベル文学賞をとられたときに
『日本人の一番いいところはあいまいなことである』と
インタビューでお答えになっていましたが、
それが一番フランス人が好きな日本人なのではないかと思ったりする。
わたしがサンジェルマンデプレのいろいろな役になっているのも、
そういう立場を期待されていると捉えています。
わたしがそういうポジションに居る限りは決定的な発言はしませんから、
何か会議で意見が分かれることがあっても、どっちにも寄らない。
それがいいのだろうと。
自分がどいういう立場に置かれているのか――これを考えることが、
日本人がフランスでビジネスをやるときに
大きなヒントになると思います」
(お話:櫻井紅絹氏<ジュエリーデザイナー/MOMI Paris主宰)